私たちの国は、この30年間で大きく様変わりしました。30年前、ほとんどの会社員は正社員であり、福利厚生の制度も充実していました。
そして国際的にも、電機、自動車、半導体など世界をリードする技術がたくさんありました。長時間労働を強いられましたが、確実に技術革新が進み、賃金も上がりました。
しかし今日、その片鱗さえも見ることができなくなっています。政治が三流の国は経済も三流になると言った人がいますが、今の日本はまさにそのような状況になっています。
そればかりではなく、法律に抵触することをしても、法の裁きからやすやすと免れている事例がたくさんあります。私たちは何を基準にして、物事を判断すればよいのでしょうか。
経済的にも倫理的にも社会がまずい方向に向かっているように思えてなりません。
旧約聖書に登場するイスラエルのユダ王国も、同じような歴史をたどりました。ダビデ王が即位したときのユダ王国は、経済的にも、宗教的にも優れた国でした。
しかし時代と共に国が衰退していきます。その原因は、神を信じていたユダ王国が徐々に人間の力に頼るようになり、特に宗教的倫理的に退廃したことです。
神は、預言者を通して神の言葉を語り、ユダ王国を神に立ち帰らせようとしました。しかしダビデ王から400年の歳月が流れたとき、ユダ王国はバビロンによって滅ぼされたのです。
ユダ王国の歴史を見ても、私たちの国のほんの30年という短い歴史を見ても、人間の基準は大きく変わるために、判断のよりどころがどんどん変わってしまいます。
そして私たちは目標を見失ってしまうのです。しかし神は言われました。「草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」(イザヤ書40章8節)と。
将来の目標を見失いがちなこの時代にこそ、変わることのない神の言葉、聖書の言葉により頼むことが必要であると思うのです。